広島平和記念公園について

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広島平和記念公園は、1949年に「広島平和都市記念建設法」制定に伴い設立され1954年に完成しました。

世界に向けて平和への願い、そして同じ過ちを二度と繰り返さないことを目的にアメリカ軍が投下した原子爆弾の爆心地からほど近い場所に設立されました。

19458月6日午前8時15分。人類史上始めて実践で使用された原子爆弾が投下された。この原子爆弾一発で最終的には広島市の人口の約34%の命を奪った。当時の人口は約35万人と言われており、原爆投下後の約4ヵ月間で約12万人の方の命を一瞬で奪ったことになる。

なぜ、こんな恐ろしいことが起こってしまっただろうか?

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歴史

1942年アメリカ大統領ルーズベルトは、原爆を製造するマンハッタン計画を指示し、原子爆弾が製造された。

1944年9月、ルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相間で、日本に対して原子爆弾を使用するハイドパーク覚書が締結された。そして、1945年7月に原爆実験が行われ、同年7月25日にはトルーマン大統領が、原爆投下を命令し同年8月6日に原爆が投下されたのだ。

1945年8月6日 午前1時45分。原子爆弾(リトルボーイ)を乗せたB−29爆撃機(エノラ・ゲイ号)がテニアン島を離陸、広島までの約7時間の飛行が始まった。

午前8時9分、エノラ・ゲイ号が広島市上空に到着し、広島市街を目視で確認後、相生橋を目標に定めて午前8時15分、原子爆弾が投下された。。。。。。。

爆心地500m圏内では、閃光と衝撃波がほとんど同時に襲い、建築物の大半は一瞬にして壊滅。そして500m圏内にいた者はほとんど即死もしくは即日死だったと言われている。500m〜1000mでは、被爆者の即死・即日死は約60%ほどだと言われている。大量の放射線あびた者の中には、放射線の急性症状(高熱、下痢など)があらわれ、生死をさまよい一命をとりとめた者もいた。

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こころに記憶する

小学時代の夏休みに8月6日は毎年登校日であった。原爆投下の話を聞かされたことを鮮明に覚えている。

そして、「はだしのゲン」あの映画でみた世界が実在していたとは考えたくないと目を逸らしてしたい感情にかられる。人類史上でこれほど悲惨な出来事はないと言っても言い過ぎではない。それを我々の祖先が体験したことに関して言葉でどう表現しても表現しきれない気持ちをすべての日本人が感じているにちがいない。

なぜ、日本に投下されることが決定されたのか?1944年9月時点で、まだ降伏していないドイツに対して投下する決定が下されるのではなく、なぜ日本に投下されることが決定されたのか?その理由が本当にわからないままだ。

この平和記念公園は、我々日本人が先の大戦で絶対に忘れてはならない、そして同じ過ちを二度と繰り返してはいけないということを今尚伝えている象徴だ。その代表が”平和の灯”。反核と恒久平和実現まで燃やし続けられるという。

日本人一人一人がその意識を持って、心の中に「反核と恒久平和実現」を切に願い、20世紀におかした過ちは21世紀では繰り返すことなく、進化していける関係性を構築していきたいものだ。

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